初転法輪

梵天勧請

現代語訳

 時に世尊は七日を過ごした後、三昧サマーディから立ち上がり、羅闍耶他那ラージャ・ヤタナの樹の下を離れ、阿闍波羅アジャパーラ榕樹ガジュマルの場所に向かった。向かった後、そこで世尊は阿闍波羅アジャパーラ榕樹ガジュマルの下に住むことにした。

 時に世尊は静寂なる住居にて厳かに安んじていたが、心が思念を生じた。

「余は証知してこの法を得たが、なんとも深く、見難く、解き難く、寂静にして言いようもなく美しいものだ。絶え間ない深き思索の境界を超越し、まことに奥深い……。智者だけに知られることのできるものであろう。だから、ここで衆生は阿頼耶アラーヤを楽しみ、阿頼耶アラーヤに心を弾ませ、阿頼耶アラーヤを喜びながらも、阿頼耶アラーヤを楽しみ、阿頼耶アラーヤに心を弾ませ、阿頼耶アラーヤを喜ぶ衆生とは、この縁依の性や縁起の処を見難いものなのだ。同じく一切諸行の寂止、一切縁依の断捨、渴愛の滅尽、離、滅、涅槃の処を見るのはあまりに困難だ。余が仮に法を説いたところで、彼らが余を理解しなかった時には、余は疲労するばかり、困憊するばかりとなるであろう。」

 そうであるから、いまだかつてない稀有なる偈の句が聞こえた。世尊の心の中から顕現したのだ。

余の困苦によって証知されたことは、
今さら何のために説法をすることがあろうか。
貪瞋に悩まされる者が、
このダルマを悟るのは容易ではない。
世の流れに逆らうように導引しても、
深淵かつ微細であり見難いものだ。
癡闇の目隠しから解放しようとしたところで、
これは人が見ることのできないものだ。


 世尊はかくのごとく思択して心念は黙然とし、法を説こうとはしなかった。時に索訶主梵天が現れ、世尊から思念されたものを心で知り、頭にもたげた。

「ああ、世間が敗壊する。ああ、世間が敗壊する。」

 如来は世間から供養を受けるに相応しく、正覚に等しく心念は黙然とし、法を説きたいとは思わなかった。

 時に索訶主梵天は力士が腕を屈伸するかのように腕を伸屈し、にわかに梵界から姿を消して世尊の前に現れた。

 この時の索訶主梵天は上衣の肩の一方を露わにし、右膝は地につけて合掌し、世尊に面した。そして世尊に告げた。

「願わくば世尊よ、法を説いてくれ。願わくば、できるだけ早く法を説いてくれ。有情にも塵垢けがれの少ない者がいる。もし法を聞かなければ、ただちに退転堕落するであろう。もし法を聞けば、ただちに悟ることができるであろう。」

 このように説いた索訶主梵天は、その言葉の通りにした後、かつ改めて説得した。

かつての摩竭マガハ国の現前にあるのは、
垢穢けがれの者に思念された不浄の法、
願わくば甘露アムリタの門を広く開放されよ。
麗しき名声を共にする無垢なる覚りのダルマは、
あたかも山頂の峰に壁がそびえたつかのようだ。
低きところの衆生どもをあまねく見るがよい。
そなたはまさしく普眼に智慧の勝る者、
ダルマに就かれた高樓たかどのを登り詰め、
自ら憂苦を超えてどこまでも御覧になられよ。
憂い、生、老い、悩みに沈む衆生だ。
躍起なる英雄に戦争の勝利者、
キャラバンの頭領も債権を重ねて世間に遊ぶことがない。
どうか願わくば世尊よ、法を説いていただきたい。
悟りを開くことのできる者は人の中に現れるであろう。

 かくのごとく説いた時、世尊は索訶主梵天に告げた。

「梵天よ、余の心は思念を生じたのだ。余が証知して得たこの法は、あまりに深く、見難く、解き難く……困憊するばかりとなるであろう。だからこそ梵天よ、いまだかつてない稀有なる偈の句が聞こえた。余の心に現れたのだ。……目隠しされて見ることはない。梵天よ、余はかくのごとく思惟し、心念は黙然としておる。法を説こうとは思わぬ。」

 索訶主梵天は重ねて世尊に告げた。

「願わくば世尊よ、法を説いてくれ。……それから了知を会得できよう。」

 世尊は重ねて索訶主梵天に告げた。

「余の心が思念を生じたのだ。余に証知されて得られたこの法は、なんとも深く、見難く、解き難く、……困憊するばかりとなるであろう。そうであるから梵天よ、いまだかつてない稀有なる偈の句を聞いた。」

 世尊の心の中から顕現し……目隠しされた者は見ることができない。

「梵天よ、余はかくのごとく思惟し、心念は黙然としておる。法を説こうとは思わぬ。」

 索訶主梵天は三度目に世尊に告げた。

「願わくば世尊よ、法を説いてくれ。……それから了知を会得できよう。」

 時に世尊は梵天の勸請ならびに有情を哀愍していることを知ったことにより、そこで仏眼によって世間を観察した。世尊が仏眼によって世間を観察している時、有情のうち塵垢を有すること少なき者、塵垢の多き者、生まれながらの優れた者、生まれながらの劣った者、善なる行相の者、悪なる行相の者、教導しやすい者、教導し難い者、未来の世と罪過を知って畏怖し、住もうとしている者がいるのを見た。

 譬えれば青蓮の池、赤蓮の池、白蓮の池におけるようなものだ。あるいは青蓮、赤蓮、白蓮が水中に生まれ、水中で成長するも、水面から出ることなく、水の中に沈んだまま繁殖するものがあるようなものだ。あるいは青蓮、赤蓮、白蓮が水の中に生まれ、水の中で成長し、水面に住むものがあるようなものだ。あるいは青蓮、赤蓮、白蓮が水の中で生まれ、水の中で成長し、水面から出て住むことになるも、水に染められることにならないものがあるようなものだ。

 かくのごとく世尊は仏眼によって世間を観察した。世尊が仏眼によって世間を観察している時、有情のうち塵垢を有すること少なき者、塵垢の多き者、生まれながらの優れた者、生まれながらの劣った者、善なる行相の者、悪なる行相の者、教導しやすい者、教導し難い者、未来の世と罪過を知って畏怖し、住もうとしている者がいるのを見た。見た後に偈によって索訶主梵天に告げた。

耳から甘露アムリタの門を聞くことができた。
聞いた時にはかつて信じられていたものが捨て去られ、
思念の求めたものは嬈惑悩害のこと。
演説妙法の音を創り上げないことであった。

 時に索訶主梵天は、世尊が説法をすることを許したと知った後、世尊に敬礼をして、右にくるりと回ってその場から消え去った。


漢文

 時、世尊過七日後、從三昧起、離羅闍耶他那樹下、往阿闍波羅榕樹處。往已、于此、世尊住阿闍波羅榕樹下。

 時、世尊于靜居宴默、心生思念、我證得此法、甚深、難見、難解、寂靜、美妙、超尋思境而至微、唯智者所能知焉。然此眾生樂阿賴耶、欣阿賴耶、喜阿賴耶。而樂阿賴耶、欣阿賴耶、喜阿賴耶眾生、難見此緣依性、緣起處也。亦甚難見一切諸行寂止、一切緣依斷捨、渴愛滅盡、離、滅、涅槃處。我若說法、彼不了解我時、我唯疲勞、困憊而已。

 然而未曾聞稀有偈句、于世尊心中顯現、

我困苦所證
今為何應說
貪瞋所惱者
不易悟此法
導引逆世流
深微而難見
欲著癡闇覆
是人不得見


 世尊如是思擇、心念默然、不欲說法。時、有索訶主梵天、心知世尊之所思念而念、啊、世間敗壞。啊、世間敗壞。如來、應供、等正覺心念默然、不欲說法。


 時、索訶主梵天如力士屈伸臂、伸屈臂、迅沒梵界而現世尊前。

 此時、索訶主梵天偏袒上衣一肩、右膝著地、合掌面世尊而白世尊曰、願世尊說法。願善逝說法。有情有少塵垢者、若不聞法、即退墮、若聞法、即得悟也。


 索訶主梵天如此說、如此言已、且更說曰、


曾于摩竭國現前
垢穢所思不淨法
願欲弘開甘露門
令聞無垢所覺法
恰如壁立山頂峰
普見低處諸眾生
汝乃勝慧普眼者
昇登法所就高樓
自超憂苦望鑑臨
沈憂生老惱眾生
躍起雄者戰勝者
商主債無遊世間
願請世尊為說法
能悟入者應有人


 如是說時、世尊告索訶主梵天曰、梵天、我心生思念、我所證得此法、甚深、難見、難解……困憊而已。然而、梵天、未曾聞稀有偈句、現于我心……覆不得見。梵天、我如是思惟、心念默然、不欲說法。

 索訶主梵天重白世尊、世尊、願為說法……應得了知。世尊重告索訶主梵天曰、我心生思念、我所證得此法、甚深、難見、難解……困憊而已。然而、梵天、未曾聞稀有偈句、現于我心……覆者不得見。梵天、我如是思惟、心思默然、不欲說法。

 索訶主梵天三白世尊曰、世尊、願為說法、……應得了知。時、世尊因知梵天勸請、並哀愍有情、乃以佛眼觀察世間。世尊以佛眼觀察世間時、見有情有塵垢少者、塵垢多者、利根者、鈍根者、善行相者、惡行相者、易教導者、難教導者、有知他世與罪過之怖畏而住者。

 譬如于青蓮池、赤蓮池、白蓮池、或如青蓮、赤蓮、白蓮有生于水中、長于水中、不出水面、沈于水中而繁茂者、或如青蓮、赤蓮、白蓮有生于水中、長于水中、住于水面者;或如青蓮、赤蓮、白蓮有生于水中、長于水中、出住水面、不為水所染者。

 如是世尊以佛眼觀察世間、見有情有塵垢少者、塵垢多者、利根者、鈍根者、善行相者、惡行相者、易教導者、難教導者、有知他世與罪過之怖畏而住者。見已、以偈〔告〕索訶主梵天曰、

有耳得聞甘露門
聞時棄捨昔所信
思欲嬈惑惱害者
不為演說妙法音

 時、索訶主梵天已知、世尊許為說法、敬禮世尊、右繞而沒其處。

書き下し文

 時に世尊は七日を過ごす後、三昧從り起こり、羅闍耶他那の樹の下を離れ、阿闍波羅の榕樹の處に往かむとす。往きてのち、此に于いて世尊は阿闍波羅の榕樹の下に住まへり。

 時に世尊は靜かなるすまひに于いて宴默しづまり、心は思念おもひを生ぜり。我はあかして此の法を得ること、と深し、見難し、解き難し、寂靜しづかにして美妙うつくし、尋思の境を超へてまことに微かたり。唯だ智る者のみに能く知らるる所ならむぞ。然るに此に眾生もろもろは阿賴耶を樂しみ、阿賴耶をよろこび、阿賴耶を喜べり。而れども阿賴耶を樂しみ、阿賴耶をよろこび、阿賴耶を喜ぶ眾生もろもろは、此の緣依の性、緣起の處を見難きなり。亦たと一切諸行の寂止、一切緣依の斷捨、渴愛の滅盡、離、滅、涅槃の處を見難し。我は若し法を說くも、彼の我を了解せざる時なれば、我は唯だ疲勞し、困憊する而已のみ、と。

 然るに而りて未だ曾てなき稀有なる偈の句を聞けり。世尊の心の中に于いて顯現あらはる。

我の困苦に證さるる所
今や何の為にぞまさに說かむ
貪瞋に惱まさるる所の者
此の法を悟ること易からず
導引いざなひて世の流れにさからはせしむるも
深く微かにして見難し
癡闇の覆を著はさむとおもへども
是れ人は見るを得ざりき


 世尊は是くの如く思擇し、心念こころ默然だまりとし、法を說かむとはおもはざりき。時に索訶主梵天有り、心に世尊に思念さるる所を知りておもふ。ああ、世間は敗れ壞るる。ああ、世間は敗れ壞るる、と。如來は應供し、正覺に等しく心念こころは默然とし、法を說くをおもはざりき。


 時に索訶主梵天は力士の臂を屈伸するが如く臂を伸屈し、にはかに梵界をりて世尊の前を現る。

 此の時、索訶主梵天は上衣の一肩を偏袒はだぬぎ、右膝は地にけ、掌を合はせて世尊にむかひ、而りて世尊にまをして曰く、願はくば世尊よ、法を說くべし。願はくば、善くすみやかに法を說くべし。有情に塵垢の少き者有り、若し法を聞かざれば、即ち退き墮ち、若し法を聞かば、即ち悟るを得るなり、と。


 索訶主梵天は此の如く說き、此のことばの如くするのち、且つ更に說きて曰く、


曾て摩竭の國の現前に于いて
垢穢けがれに思はさるる所の不淨の法
願はくば甘露の門を弘開ひらかむことを欲す
うるはしきほまれにしてけがれ無く覺らるる所の法
あたかも壁の山頂の峰に立つるが如し
普く低き處の諸眾生もろもろを見れば
汝は乃ちさとしきこと普眼に勝る者
昇りて法に就かるる所の高樓たかどの
自ら憂苦を超へて鑑臨を望み
憂生老惱に沈む眾生
躍起にたける者も戰ひ勝つ者も
商主はりて世間に遊ぶこと無し
願はくば請はむぞ世尊よ法を說くを為さむことを
能く悟り入る者はまさに人にあらはれむ


 是くの如く說ける時、世尊は索訶主梵天に告げて曰く、梵天よ、我が心は思念おもひを生ぜり。我に證し得らるる所の此の法は、と深し、見難し、解き難し……困憊する而已のみ。然るにすなはち、梵天よ、未だ曾てなき稀有なる偈の句を聞けり。我が心に現るる……おほいは見るを得ず。梵天よ、我は是くの如く思惟おもひ、心念こころ默然だまりとし、法を說かむとおもはざりき。

 索訶主梵天は重ねて世尊にまをさく、世尊よ、願はくば法を說くを為さむことを……まさに了知を得。世尊は重ねて索訶主梵天に告げて曰く、我が心は思念おもひを生ぜり。我に證し得らるる所の此の法、と深し、見難し、解き難し……困憊する而已のみ。然るに而りて梵天よ、未だ曾てなき稀有なる偈の句を聞けり。世尊の心の中に于いて現れ……おほいの者は見るを得ず。梵天よ、我は是くの如く思惟おもひ、心思こころ默然だまりとし、法を說かむとおもはざりき。

 索訶主梵天はみたびにして世尊にまをして曰く、世尊、願はくば法を說くを為さむことを、……まさに了知を得。時に世尊は梵天の勸請すすむこと、並びに有情を哀愍あはれまむとするを知るに因り、乃ち佛の眼を以ちて世間を觀察ゆ。世尊は佛の眼を以ちて世間を觀察ゆる時、有情の塵垢をつこと少なき者、塵垢の多き者、すぐるるうまれの者、をとるるうまれの者、善き行相の者、惡しき行相の者、教導し易き者、教導し難き者の、の世と罪過とがを知り怖畏をそれて住まむとする者有るを見ゆ。

 譬うれば青蓮の池、赤蓮の池、白蓮の池に于けるが如し。或いは青蓮、赤蓮、白蓮の水中に生まれ、水中にくるも、水面を出でず、水の中に沈みて繁茂しげる者の有るが如し。或いは青蓮、赤蓮、白蓮の水中に生まれ、水中に長け、水面に住まふ者の有るが如し。或いは青蓮、赤蓮、白蓮の水の中に生まれ、水の中に長け、出でて水面に住むも、水に染めらるる所に為らざる者の有るが如し。

 是くの如く世尊は佛の眼を以ちて世間を觀察ゆ。有情の塵垢をつこと少なき者、塵垢の多き者、すぐるるうまれの者、をとるるうまれの者、善き行相の者、惡しき行相の者、教導し易き者、教導し難き者の、の世と罪過とがを知り怖畏をそれて住まむとする者有るを見ゆ。見たるのち、偈を以ちて索訶主梵天に告げて曰く、

耳をちて甘露の門を聞かるを得、
聞かる時をば昔にまこととせらる所を棄捨つ。
思ひにもとむは嬈惑惱害の者
演說妙法の音を為さざらむことを

 時に索訶主梵天は已に知り、世尊の法を說くことを為さむとしたがはば、世尊に敬禮し、右にめぐりて其の處をれり。