本巻之一 国初

天地未分

現代語訳

 天地がまだ分かれる以前、始まりの時は混混沌沌、陰陽も清濁も分別が存在しなかった。やがて大極が両儀を生み、両儀が四象を生み、四象が変化し、さまざまな種類のものがそれぞれ次々と生まれて繁殖した。これによって天地は初めて天地となり、人類も万物も初めて人類や万物となったのだ。この時の我が琉球の開闢は、福州からまっすぐ東から南に偏って三里あまりの場所のことであった。分野は楊州呉越と同様に女牛の星紀の次に属し、どちらも丑宮にある。〈福建は北極の地を出ること二十六度三分。偏度は北極の中線から離れること東に四十六度三十分ほど偏る。琉球は北極の地から出ること二十六度二分三釐、偏度は北極の中線から離れること東に五十四度ほど偏る。つまり琉球と福州は互いに東西に八度三十分ほど離れているわけだ。推定のまっすぐな距離を計算すると、海面一千七百里である。〉


漢文

 天地未分之初、混混沌沌、無有陰陽清濁之辨。既而大極生両儀、両儀生四象、四象變化、庶類繁顆。由是天地始爲天地、人物始爲人物。時我琉球、闢在福州正東偏南三里許、而分野與楊州呉越同屬女牛星紀之次、倶在丑宮。〈福建、北極出地二十六度三分。偏度、去北極中線偏東四十六度三十分。琉球、北極出地二十六度二分三釐、偏度、去北極中線偏東五十四度。則琉球與福州東西相去八度三十分。推算徑直、海面一千七百里〉

書き下し文

 天地 あめつちの未だ分かたざるが初め、混混沌沌とし、陰陽清濁の わけめ有る無し。既而 やがて大極 おほもとは両儀を生み、両儀は四象を生み、四象は變化 かはり、庶類 もろもろ つぶを繁らしむ。是れに由りて天地 あめつちは始めて天地 あめつちと爲り、人も物も始めて人と物に れり。時に我が琉球は、 ひらきて福州正東偏南三里許に在り、而りて分野は楊州呉越に くみして同じく女牛の星紀の次に き、倶に丑宮に在り。〈福建は北極の地を出づること二十六度三分。偏度は北極の中線を去ること偏東四十六度三十分。琉球は北極の地を出づること二十六度二分三釐、偏度は北極の中線を去ること偏東五十四度。則ち琉球と福州は東西に相ひ八度三十分を去れり。 おしはかりて徑の ただしきを かぞふれば、海面一千七百里たり。〉

我国開闢

現代語訳

 我が国の開闢の最初について概略を説明しよう。沖合には大きな波が氾濫し、住むことのできる場ではなかった。この時、ひとりの男とひとりの女が大荒れ(する波)の際から生まれてきた。男の名は志仁礼久 シニレク、女の名は阿摩弥姑 アマミコ。土や石を運び、草や木を植え、沖合の大波を防ぐのに用い、こうして タキ ムイが始まった。 タキ ムイが形成されてから、人類も万物もそれぞれが次々と生まれて繁殖していった。しかし当時の風俗では、穴ぐらや野原が住居となり、万物は互いに友となり、傷つく心は存在しなかったのに、年月を経てしばらくすると、人民が知性を発揮するようになり、万物が初めて敵となったのだ。この時にもまたひとり、出現して最初にさまざまな生き物を類別し、民を定住させた者が、叫び声をあげて天帝子と称した。天帝子は三人の男児と二人の女児を生んだ。長男は天孫氏となった。国君の始まりである。二男は按司 アジの始まりとなり〈按司 アジとは、つまり中国王朝の諸侯の類のようなものだ〉三男は百姓の始まりとなった。長女は君君の始まりとなり、〈君とは、神職を掌する婦女の名称だ。君君とは、貴族の婦女の数十人に、それぞれ神職を掌させたことから、これらを合わせた名称が君君である。康煕の初め、議論してその数を減らし、現在は数職が存在するわけだ。〉次女は祝祝の始まりとなる。〈祝とは、同じく神職を掌する者の名称だ。祝祝とは、諸郡や諸村それぞれに神職を掌する婦女がいることから、これらを合わせての名称が祝祝である。現在に至るまでまだ存在している。〉こうして倫道が始まった。


漢文

 盖我國開闢之初、海浪氾濫、不足居處。時有一男一女生于大荒際。男名志仁禮久、女名阿摩彌姑。運土石、植草木、用防海浪、而嶽森始矣。嶽森既成、人物繁顆。然當時之俗、穴居野處。與物相友、無有价傷之心。歴年既久、人民機智、物始爲敵。於時復有一人、首出分郡類、定民居者、叫稱天帝子。天帝子生三男二女。長男爲天孫氏、國君始也、二男爲按司始、〈按司、即如中朝諸侯之類〉三男爲百姓始、長女爲君君之始、〈君者、婦女掌神職者之稱也。君君者、令貴族婦女數十人、各掌神職、故合稱之曰君君。康煕之初、議減其數、而今有數職存焉。〉次女爲祝祝之始。〈祝者、亦掌神職者之稱也。祝祝者、諸郡諸村、各有婦女掌神職者、故合稱之曰祝祝。至今尚存。〉而倫道始矣。

書き下し文

 盖し我が國の開闢の初め、海浪 おきなみ あふ みだれ、居處 すみかとするに足らじ。時に一男 ひとりのをのこ一女 ひとりのをみな大荒 おほあれの際に生まるる有り。男の名は志仁禮久、女の名は阿摩彌姑。土石を運び、草木を植ゑ、 ちて海浪 おきなみを防ぎ、而りて嶽と森は始まれり。嶽と森の既に成らば、人も物も つぶを繁らせしむ。然りて當時 とき ならひ あなぐら すまひ のはら すみか、物と與に相ひ友となり、价傷 いたみの心有る無し。年を歴ること既に久し、人民は さかしら もちひ、物は始めて敵と爲らむ。時に於いて復た一人、 はぢめに出づれば郡類 もろもろを分かち、民の居を定むる者有り、叫びて天帝子と ふ。天帝子は みたり むすこ ふたり むすめを生む。長男 をさごは天孫氏と爲り、國君 くにぎみは始まるなり。二男 つぎは按司の始めと爲り、〈按司は、即ち中朝の諸侯 もろぎみの類の如し〉三男 みたりめ百姓 おほみたからの始めと爲り、長女 をさめは君君の始めと爲り、〈君なる者、婦女 をみなの神職を つかさどる者の いひなり。君君なる者、貴族の婦女の數十人 いくとたり おのおの神職を つかさどらしめ、故に合はせて之れを ひて君君と曰ふ。康煕の初め、 はかりて其の數を減らし、而りて今は數職の る焉れ有りなむ。〉次女 つぎは祝祝の始めと爲る。〈祝なる者も亦た神職を つかさどる者の いひなり。祝祝なる者、 もろもろ こほり もろもろの村、 おのおの婦女 をみなの神職を つかさどる者有り、故に合はせて之れを ひて祝祝と曰ふ。今に至りて尚ほ り。〉而りて倫道始まらむ。

底本

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改易

 而分野與楊州呉越同屬女牛。星紀之次、倶在丑宮。→而分野與楊州呉越同屬女牛星紀之次、倶在丑宮。