焚巣館

鳥が自ら巣を焚いたので、最初は笑っていた旅人も最後には声をあげて泣いた。
(易経 火山旅)

 ホーム > 漢籍置場 > 立憲法議 > 立憲法議 民権

立憲法議

民権

現代語訳

 各国の憲法では、君主と官吏の権限を明らかにし、次いで必ず民の権限を明らかにしてきた。なぜか。民権は、憲法を擁護して敗壊させないためのものだからだ。天下古今の君主、それらの仁慈睿智のすべてを我が今上皇帝のようにすることができれば、民からの援助を求めてもよいし、民からの援助を求めなくともよかろう。とはいえ、禹王や湯王のような聖人であっても子孫に桀王や紂王を生まないことはできないし、皇祖劉邦や光武帝劉秀のような明哲であっても子孫に桓帝や霊帝をなからしめることはできない。これは実に千古にわたり続いてきた道であり、避けることのできないものだ。

 不幸にも桀王や紂王のような者が出現してしまえば、大権を濫用し、その暴虐残忍をほしいままにして憲法を蹂躪する。さて、そのようになれば何によって防げばよいのか。不幸にして桓帝や霊帝のような者が出現すれば、大権を別の者に譲り渡して奸雄が掠め取り、憲法を蹂躪する。このようになっても同様に何によって防げばよいのか。

 つまり仮に民権がなければ、最良極上の憲法が存在しても、しょせんは一枚紙の空文に過ぎず、いささかの補助にも救済にもならない。その事実は至極単純なものであり、また明らかである。これは何も特別なことではなく、つまり歴代の君主の誰もが湯王や禹王のような聖人で、誰もが高祖や光武帝のような明哲を備えさせることができたとしても、一国とは大きなもので、一人の独断によってこれらを統治することはできないのだ。必然的に官吏の手を借りねばならないわけであるが、官吏もほんの少数の人員ではなく、あるいは千万、あるいは億兆の者たちである。天下に上位の聖人は少数であり中位の才士が多い。だから善につとめることは困難で、悪には簡単に従ってしまう。

 彼らがわざわざ悪を為すことがないのは、法によって彼らに制限を設けているからというだけだし、彼らがわざわざ法に違反しない理由は、人から彼らが監視されているからというだけだ。つまり中国はいまだかつて法が官吏を制限させることがなく、同様にいまだかつて人々が官吏に法を守るかの監視を設けてこなかったのだ。そして最後まで効果がなかったのはなぜかといえば、つまりこれらを監視する者がその道に背いたからだ。州県が法を守らないことを懼れ、道府を設けてこれらを監視させたわけであるが、道府が法を守らなければ、次はどうすればいい? 道府が法を守らないことを懼れて督撫を設け、これらを監視させることにした。督撫が法を守らなければ、次はどうすればいい? ……法とよばれるものは、これまで十分に執行できなかった。しかも、これらを監視する人も同様に彼らに監視される者より賢明なわけではないし、掣肘するにしても万能を有するわけではなく、弊害から脱しようにもまったく効果がない。監視する者ばかりが多く、しかし政治体制はいよいよ乱れ、法を有しながら法のないかのようになり、法はこうして行き詰まる。だからこそ官吏の仕事を監督しようとするなら、その態勢は人民の責任によって成立しなくてはならない。

 思うに、利益に依拠すれば温情は己の身からそこなわれるもので、必然的に贔屓を肯定しなくなるものだ。耳目がすべて衆論に属せば、あらためてその法文を乱すことが容認されることはない。これ故に君権の制限を求めるなら、民権を用いないわけにはいかないし、官権に制限を設けようするなら、あらためて民権を用いないわけにはいかないのだ。

 憲法と民権のふたつは不可分のものである。それは実に永久不変の真理であり、そして万国が経験からこのことを理解したのだ。


漢文

 各國憲法、既明君與官之權限、而又必明民之權限者何也。民權者、所以擁護憲法而不使敗壞者也。使天下古今之君主、其仁慈睿智、皆如我今上皇帝、則求助於民可也、不求助於民亦可也。雖然、以禹湯之聖、而不能保子孫無桀紂。以高光之明、而不能保子孫無桓靈。此實千古之通軌、不足為諱者矣。使不幸而有如桀、紂者出、濫用大權、恣其暴戾、以蹂躪憲法、將何以待之。使不幸而有如桓、靈者出、旁落大權、奸雄竊取、以蹂躪憲法、又將何以待之。故苟無民權、則雖有至良極美之憲法、亦不過一紙空文、毫無補濟、其事至易明也。不特此也、即使代代之君主、聖皆如湯、禹、明皆如高、光、然一國之大、非能一人獨治之也、必假手於官吏。官吏又非區區少數之人已也、乃至千萬焉、億兆焉。天下上聖少而中材多、是故勉善難而從惡易、其所以不敢為非者、有法以限之而已。其所以不敢不守法者、有人以監之而已。乃中國未嘗無法以限官吏、亦未嘗不設人以監官吏之守法、而卒無效者何也。則所以監之者非其道也。懼州縣之不守法也、而設道府以監之。道府不守法、又將若何。懼道府之不守法也、而設督撫以監之。督撫不守法、又將若何。所謂法者、既不盡可行、而監之之人、又未必賢於其所監者、掣肘則有萬能、救弊則無一效、監者愈多、而治體愈亂、有法如無法、法乃窮。是故監督官吏之事、其勢不得不責成於人民、蓋由利害關切於己身、必不肯有所徇庇。耳目皆屬於眾論、更無所容其舞文也。是故欲君權之有限也、不可不用民權。欲官權之有限也、更不可不用民權。

 憲法與民權、二者不可相離、此實不易之理、而萬國所經驗而得之也。

書き下し文

 各國の憲法、既に君と官の權限を明らかにすれば、而(すなは)ち又た必ず民の權限なる者を明らむ。何ぞや。民權なる者、憲法を擁護して敗壞せ使(し)めざるが所以(ゆゑ)のものなり。天下古今の君主、其の仁慈睿智の皆を使(し)て我が今上皇帝の如くせしむれば、則ち民より助かるること求むるも可(よろ)しきなり、民より助かるること求むるも亦た可(よろ)しきなり。然ると雖も、禹湯の聖を以ちて、而りて子孫に桀紂を無からしむを保つこと能はざり。高光の明(さかしき)を以ちて、而りて子孫に桓靈を無からしむこと能はず。此れ實に千古の通軌(みち)にして、諱(さ)くるを為すに足らざる者たらむ。不幸(さちならず)を使(し)て桀紂の如き者の出づるを有らしむれば、大權を濫りに用ひ、其の暴戾(わがまま)を恣(ほしいまま)にし、以ちて憲法を蹂躪すれば、將に何の以ちてか之れを待(ふせ)がむ。不幸(さちならず)を使(し)て桓靈の如き者の出づるを有らしむれば、大權を旁に落(お)とし、奸雄(よこしま)の竊かに取り、以ちて憲法を蹂躪すれば、又た將に何の以ちてか之れを待(ふせ)がむ。故に苟も民權無くば、則ち至(まこと)の良(よしき)と極(きはみ)の美(よしみ)の憲法有ると雖も、亦た一紙の空文に過ぎず、毫(いささか)も補ひ濟ふ無し、其の事は至(まこと)に易く明らかなり。此れを特(とりは)けとせずや、即ち代代の君主の聖なること皆が湯禹の如くし、明(さかしき)は皆が高光の如くあら使(し)むれば、然れども一國の大いなるは、能く一人の獨り之れ治をむるに非ざるなり。必ず手を官吏(つかさ)に假る。官吏(つかさ)も又た區區とする少數の人已(のみ)に非ざるなり。乃ち至るは千萬ならむ、億兆ならむ。天下に上聖は少かにして中材は多し、是れ故に善に勉むること難くして惡に從ふは易し、其の敢へて非を為すにあらざるの所以(ゆゑ)の者、法の以ちて之れに限りする有る而已(のみ)。其の敢へて法を守らざることなき所以(ゆゑ)の者、人の以ちて之れを監(み)るに有る而已(のみ)。乃ち中國は未だ嘗て法の以ちて官吏を限ること無きも、亦た未だ嘗て人の以ちて官吏の法を守るを監(み)るを設くることあらず、而(すなは)ち卒(つひ)に效(ききめ)無き者は何ぞや。則ち之れを監(みは)る者は其の道に非(そむ)く所以(ゆゑ)なり。州縣の法を守らざるを懼るるなり、而りて道府を設けて以ちて之れを監(みは)れり。道府の法を守らざるは、又た將に若何(いか)にせむ。道府の法を守らざるを懼るるや、而りて督撫を設けて以ちて之れを監(みは)れり。督撫は法を守らざれば、又た將に若何(いか)にせむ。法と謂ふ所の者は、既に行ふ可きを盡くさず、而るに之れを監(みは)るが人も、又た未だ必ずしも其の監(みは)らるる所の者より賢からず、掣肘すれば則ち萬(よろづ)の能(ちから)を有(も)たず、弊(あしき)を救はば則ち一つも效(ききめ)無し、監(みは)る者は愈(いよいよ)多かるも、而るに治體(まつりごと)は愈(いよいよ)亂るは、法を有(も)つも法無きが如し、法は乃ち窮れり。是れ故に官吏(つかさ)の事を監督(みは)らむとすれば、其の勢は人民に責成せざるを得ず、蓋し利に由るは關切(おもひやり)を己の身より害(そこな)ひ、必ず徇庇(かば)はるる所有るを肯はず。耳目は皆が眾(ひと)の論(ことば)に屬(つ)き、更(あらた)に其の文(のり)を舞(みだ)すことを容らるる所無きなり。是れ故に君權の限り有るを欲するや、民權を用ちてせざる可からず。官權に限り有るを欲するや、更(あらた)に民權を用ちてせざる可からず。

 憲法と民權の二者(ふたつ)は相ひ離るる可からず、此れ實に不易の理(ことはり)、而りて萬(よろづ)の國の經驗する所にして之れを得たるなり。

付記

 準備中。

底本

立憲法議 - 中國哲學書電子化計劃