焚巣館

鳥が自ら巣を焚いたので、最初は笑っていた旅人も最後には声をあげて泣いた。
(易経 火山旅)

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立憲法議

対話篇

現代語訳

 質問者はいう。

「それなら今日から中国はすぐに立憲政体を実行すべきだろうか?」

 ならば答えよう。

「それはできない。」

「立憲政体とは、民の智を少しずつ開明し、その後にこれをおこなう必要がある。日本の維新は明治初元にあったが、憲法が実施されたのは二十年後であったことが、その証拠である。中国はそれだけ早くとも十年あるいは十五年以上を待って初めてこのことを語ることができよう。」

 質問者はいう。

「今日に至ってもあわててすべきではない、と? それなら、あなたがせわしなく一心としてこれを論じるのはなぜか?」

「これを実施するのが十年後になるのなら、これを定めることは十年前に当たるわけだ。さて、一国とは一身のようなもの、人が就学するはじめ、必ず最初に自身が将来、どんな職業に就きたいかを定め、その後に一切が知識を学び、一切の才覚を磨く。誰もがこれらを自分のものとし、その職業に用いることになる。だから医士は医療をおこなう数年前から必ず自ら定めて医者になると決め、商人は商売を始め数年前から必ず自ら商人になろうと決めているものだ。これが物事のきわめて浅いところである。思うに国も同じなのだ。必ず我が国の将来にどの種類の政体を採用するかを最初に決め、その後に諸々の配置や準備を整える。すべてがこれによって生まれるのだ。もしそのようにしないのであれば、航海で南針コンパスを持たず、衣服の裁縫に量尺メジャーを持たないようなものである。海流が乱れればどこに渡航が向かっているのかわからず、いつまでも襟首を縫合して繕っても、片段たりとも完成しない。これまで上手くいったものなど誰もいないのだ。だから政体の採用について定めてから憲法を立てることを決め、実際に詳細を解析し、主旨を開示してから内容を明示することが第一の事である。ゆとりがあるわけではないのだ。」

「憲法を立てようと定めた後は、その次第はどのようにすべきであろうか?」

「憲法とは、万世不易であり、一切の法律と制度の根源である。だからそれを立てるに当たっては、精緻にして慎重、至善に止まることに務めねばならぬ。日本が憲法を実行したのは、明治二十三年である。それが憲法を公布したのは、明治十三年である。それが憲法を最初に起草したのが明治五年である。その最初の起草が開始されるにあたって、大臣五人を特派して欧州を遊歴させた。各国の憲法の異同を考察し、そのよい点と悪い点を取捨選択したのだ。帰国した後、その制作のための局が開かれた。彼らがこのことについて慎重に慎重を重ね、そのことについて躊躇いに躊躇いを重ねるさまは、まさしくこのようであった。今の中国でもこれを実施するなら、私はその論理の分析と機序について、左にようにすべきだと考える。」

 一、まずは皇上から明詔を降され、中国は君主立憲の帝国であり万世不易であると臣民に布告していただきたい。

 次に二、重臣の三人を派遣して欧州各国と美国アメリカ、日本を遊歴させ、それらの国の憲法の同異、よい点と悪い点、何が中国にて用いるべきで、何を捨てるべきであるかを考査してもらいたい。英語、フランス語、ドイツ語、日本語の会話や文字に通曉した隨員十人あまり――それらの人は必ず学識を有して地方の言語ばかりを理解しているだけではない者だ――も引き連れて同行させよ、平行して幾許かの者が随時各国に赴き、相談役になってもらうために学識に通じた人たちの招聘を要請し、一年の期間が満了すれば帰国してもらうのだ。(また、この次には憲法の考察に派遣された重臣隨員は、おしなべて各種の法律、つまり行政法、民法、商法、刑法といった類のことについて、皆がことごとく考究するものだと心すべし。)

 次に三、派遣された人員が帰国したら、すぐに立法局をひとつ宮中にて開き、憲法を起草して随時、進呈御覧たてまつる。

 次に四、各国の憲法の原文や憲法を解釈した名著を立法局から訳出させ、天下に公布せよ。国民にその由来のごとごとくを知らせることで、主君に善を勧めて悪を諫めるための学識の増長させることができるはずだ。

 次に五、草稿が完成したら、まだ定本となる前に、まずはそれを官報局に布告させるがよい。全国の人士民衆の皆に難点を弁じて討論させるのだ。ある者は書籍を著し、ある者は新聞に投稿し、ある者は演説し、ある者は手紙を立法局に上奏する。条ごとにひとつひとつ詳細に論じ合う。五年あるいは十年はこのようにし、しかる後に添削し、これを制定する。定本を公布してからは、その後の全国の人々の投票を経ることなく勝手に憲法を改変することはできない。

 次に六、みことのりを下して政体を定めた最初の日から二十年をもって憲法の実行の期日とする。


漢文

 問者曰、然則中國今日遂可行立憲政體乎。曰、是不能。

 立憲政體者、必民智稍開、而後能行之。日本維新在明治初元、而憲法實施在二十年後、此其證也。中國最速亦須十年或十五年、始可以語於此。問者曰。今日既不可遽行、而子汲汲然論之何也。曰。行之在十年以後、則定之當在十年以前。夫一國猶一身也、人之初就學也、必先定吾將來欲執何業、然後一切學識、一切材料、皆儲之為此業之用。故醫士必於未行醫之前數年而自定為醫、商人必於未經商之前數年而自定為商、此事之至淺者也。惟國亦然、必先定吾國將來採用何種政體、然後凡百之布置、凡百之預備、皆從此而生焉。苟不爾爾、則如航海而無南針、縫衣而無量尺、亂流而渡、不知所向、彌縫補首、不成片段、未有能濟者也。故采定政體、決行立憲、實維析開宗明義第一事、而不容稍緩者也。

 既定立憲矣、則其立之之次第當如何。曰。憲法者、萬世不易者也、一切法度之根源也、故當其初立之也、不可不精詳審慎、而務止於至善。日本之實行憲法也、在明治二十三年。其頒布憲法也、在明治十三年。而其草創憲法也、在明治五年。當其草創之始、特派大臣五人、游歷歐洲、考察各國憲法之同異、斟酌其得失。既歸而後、開局以製作之。蓋其慎之又慎、豫之又豫也如此。今中國而欲行之、則吾以為其辦理次第當如左。

 一、首請皇上渙降明詔、普告臣民、定中國為君主立憲之帝國、萬世不替。

 次二、宜派重臣三人、游歷歐洲各國及美國日本、考其憲法之同異得失、何者宜於中國、何者當增、何者當棄。帶領通曉英、法德日語言文字之隨員十餘人同往、其人必須有學識、不徒解方言者、並許隨時向各國聘請通人以為參贊、以一年差滿回國。(又此次所派考察憲法之重臣隨員、宜並各種法律如行政法、民法、商法、刑法之類皆悉心考究。)

 次三、所派之員既歸、即當開一立法局於宮中、草定憲法、隨時進呈御覽。

 次四、各國憲法原文及解釋憲法之名著、當由立法局譯出、頒布天下、使國民咸知其來由、亦得增長學識、以為獻替之助。

 次五、草稿既成、未即以為定本、先頒之於官報局、令全國士民皆得辨難討論、或著書、或登新聞紙、或演說、或上書於立法局、逐條析辯、如是者五年或十年、然後損益制定之。定本既頒、則以後非經全國人投票、不得擅行更改憲法。

 次六、自下詔定政體之日始、以二十年為實行憲法之期。

書き下し文

 問ふ者曰く、然るに則ち中國は今日、遂に立憲政體を行ふ可きか。曰く、是れ能はざり。

 立憲政體なる者、必ず民の智の稍く開き、而る後に能く之れを行へり。日本の維新は明治初元に在り、而れども憲法のまことの施しは二十年後に在り、此れ其のあかしなり。中國は最も速くとも亦た十年或いは十五年をち、始めて以ちて語ること此に於いてす可し。問ふ者曰く、今日は既にあはてて行ふ可からず、而れども子の汲汲然として之れをふは何ぞや。曰く、之れを行ふこと十年以り後に在らば、則ち之れを定むるは、當に十年以さきに在るべし。夫れ一國は猶ほ一身のごときなり。人の初めて學ぶに就くや、必ず先づ吾が將來の何のつとめを執らむと欲するかを定め、然る後に一切みな識を學び、一切みなはかりて、皆が之れを儲けて此のなりはひつとめと為す。故に醫士は未だ醫を行はざるが前の數年に於いて必ずして自ら定めて醫と為らむとし、商人あきひとは未だあきなひを經たるが前の數年に於いて必ずして自ら定めて商を為し、此れ事のまことに淺かりし者なり。おもふに國も亦た然り、必ず吾が國の將來さきに何種の政體を採り用ふるかを定むることを先にし、然る後に凡そ百の布置、凡そ百の預備、皆が此れにりて焉れ生まれたらむ。苟も爾爾しかじかにあらざれば、則ち海をわたりて南針無く、衣を縫ひて量尺無きが如く、亂れ流れて渡ること、向かふ所を知らざりき、ひさしく縫ひて首を補ふも、片段ひとこまも成らず、未だ能くす者有らざるなり。故に采りて政體を定め、立憲を決め行ひ、實に維析きてむねを開きことはりを明らむ第一はぢめの事、而るにまさに稍く緩かなる者なるべかざりるなり。

 既にのりを立つるを定めたらむば、則ち其れ之れを立つるが次第ならびは當に何の如きか。曰く。憲法なる者、萬世よろづよ不易かはらざる者なり、一切なべて法度おきて根源みなもとなり、故に當に其れ初めて之れを立てむとするや、精詳くはしきにして審慎つつしむにあらざる可べらず、而りて務めてまことよろしきに止らむ。日本やまとまことに憲法を行ふや、明治二十三年に在り。其の憲法を頒布ひろむるや、明治十三年に在り。而りて其の憲法を草創くさわけなるや、明治五年に在り。當に其の草創くさわけの始め、特けに大臣おほをみ五人いつたりつかはし、游ばせしめて歐洲を、各國の憲法の同異を考察しらべ、其の得失よしあし斟酌めり。既に歸りて後、局を開きて以ちて之れを製作つくれり。蓋し其の之れを慎みて又た慎み、之れをためらひて又たためらふや此の如し。今の中國にして之れに行かむとおもはば、則ち吾の以為おもへらく其れことはりけて次第ならべたること當に左の如くせむ。

 一、はぢめに請ふ、皇上みかどはなちて明詔みことのりを降し、あまねく臣民に告げ、定めて中國は君主立憲の帝國にして萬世よろづよ不替為り、と。

 次に二、宜しく重臣の三人みたりつかはせ、游ばせしめて歐洲各國及び美國、日本をさしめ、其の憲法の同異得失、何者をか宜しく中國に於いて、何者をか當に增つるべきか、何者をか當に棄つるべきかをかむがみるべし。英法德日の語言文字を通曉さとるが隨員十餘人、其の人の必ず須く學識をち、ところことばを解くにあらざる者を帶領ひきつれせしめて同じく往かしめ、並びにいくばくか時に隨ひて各國に向き、くはしき人にたづね請ひて以ちて參贊たばかりびとらしめ、一年の差を以ちて滿つれば國にかへすべし。(又た此の次はつかはされて憲法を考察かむがみせしめらるる所の重臣隨員は、宜しく並びて各種の法律の行政法、民法、商法、刑法の如きが類の皆悉く考究を心すべし。)

 次に三、つかはさるる所の員の既に歸らば、即ち當に一の立法局を宮中に開き、憲法を草定をこし、時に隨ひて御覽おまみ進呈たてまつる。

 次に四、各國憲法の原文及び憲法を解釋したるが名著、當に立法局に由りて譯出せしめ、天下に頒布ひろむるべし。國民を使ことごとく其の來由ゆゑを知らせしむるは、亦た學識を增し長くるを得さしめ、以ちて獻替すけの助と為さむ。

 次に五、草稿の既に成り、未だ以ちて定本を為すにたらず、先づ之れを官報局にひろめ、全國の士民の皆をあしきことば討論てらひを得さしめ、あるものふみを著し、あるものは新聞紙にせ、あるものことばべ、あるものは書を立法局にたてまつり、條を逐ひて析辯わかちきめ、是の如くすること五年或あるいは十年、然る後にらしして之れを制定さだむ。定本の既にひろまば、則ち以ちて後に全國の人の投票を經るに非ざれば、ほしいままに憲法を更改あらたむること行ふを得ず。

 次に六、みことのりを下して政體を定むるが日の始むり、二十年を以ちてまことに憲法を行ふがときと為す。

付記

 準備中。

底本

立憲法議 - 中國哲學書電子化計劃