立憲法議
立憲
現代語訳
孟子はいう。「天下に生民が興ってずいぶん経つが、ある時には治世であり、ある時には乱世であった。」これは専制国家だからこのように言うしかなかったのだ。もしこれが立憲国家であれば、ひとたび治世となれば乱世に二度と至ることはあり得ない。専制国家は、善なる君主にめぐり逢えれば治世になるが、中程度の君主にめぐり逢えば衰退し、暴君にめぐり逢えば乱世となる。そこで暴君にめぐり逢わなかったとしても、それは中程度の君主から中程度の君主に継承され続け、これで廃絶と弛態を長らく循環し、これも乱世に至るには十分である。これ故に治世は日常に少なく、乱世は日常に多い。
中国の数千年の乱世に至る道を歴観すれば、乱世には君主から始まるものがある。嫡子と庶子が争って自立するだとか、ここに乱世に至らしめて自ら君主となろうとする者が現れるだとか、母后が権力を壟断するだとか、暴君の無道だとか等といったものがこれだ。乱世には臣下から始まるものもある。権力を互いに簒奪や弑殺し合うことや、地方鎮撫と称する軍閥が跋扈すること等がこれである。乱世が民から始まることもある。ある時は暴政に迫られ、ある時は飢饉に駆られて……これらをまとめてみると、どれも朝廷が先に乱れ、その後に民が乱れるのだ。立憲国家には、このような心配はない。君位の世襲や主権の所属は、どれもひとつに定められている。全壬の隙に乗じることができたところで、奸悪を為す者が現れようか。大臣の進退は、ひとえに議院の賛助の多寡に依拠し、君主は民心の向きをよく見る。そうした後にこれを授ければ、曹操や王莽、安禄山や史思明のような連中が居座ってその間隙に巨大となることがあろうか。
しかも君主がひとたび教書や法律を発し、ひとたび命令や法令を施すにあたっても、必ず策謀は庶民に及び、国民の求めることに起因する。議院の共賛を経て、それらの民がまだ理解していないことがあれば、大臣が議院にて何度も宣布することによって、必ず多数の共賛を求めてから、その後に行わなくてはならない。民間に悩みごとや苦しみがあれば、誰もが議院に提訴することができる。弛緩するものが引き締められ、利便性もある。民に自らの主君を怨む者が現れるだろうか? つまり立憲政体とは、乱世の萌芽を永久に絶つ政体なのだ。
館閣頌揚通語の動には、「国家億万年の有道の長」という言葉があるが、立憲政体のごときは、まことに国家億万年の有道の長と謂うべきだ。だから今日の
漢文
孟子曰、天下之生久矣、一治一亂。此為專制之國言之耳。若夫立憲之國、則一治而不能復亂。專制之國、遇令辟則治、遇中主則衰、遇暴君即亂。即不遇暴君、而中主與中主相續、因循廢弛之既久、而亦足以致亂。是故治日常少、而亂日常多。歷觀中國數千年致亂之道、有亂之自君者、如嫡庶爭立、母后擅權、暴君無道等是也。有亂之自臣者、如權相篡弒、藩鎮跋扈等是也。有亂之自民者、或為暴政所迫、或為饑饉所驅。要之、皆朝廷先亂然後民亂也。若立憲之國、則無慮是。君位之承襲、主權之所屬、皆有一定、而豈有全壬得乘隙以為奸者乎。大臣之進退、一由議院贊助之多寡、君主察民心之所向、然後授之、豈有操、莽、安、史之徒、能坐大於其間者乎。且君主之發一政、施一令、必謀及庶人、因國民之所欲、經議院之協贊、其有民所未喻者、則由大臣反覆宣布於議院、必求多數之共贊而後行。民間有疾苦之事、皆得提訴於議院、更張而利便之、而豈有民之怨其上者乎。故立憲政體者、永絕亂萌之政體也。館閣頌揚通語、動曰、國家億萬年有道之長。若立憲政體、真可謂國家億萬年有道之長矣。即如今日英、美、德、日諸國、吾敢保其自今以往、直至天荒地老、而國中必無內亂之憂也。然則謀國者亦何憚而不採此政體乎。
書き下し文
孟子曰く、天下に
付記
準備中。