荘子 桑戸

 

本文

漢文

 嗟來桑戶乎
 嗟來桑戶乎
 而已反其真
 而我猶為人
 猗

書き下し文

 嗟來 ああ、桑戶よ。
 嗟來 ああ、桑戶よ。
  は已に其の まこと かへれり。
 而れども我らは猶ほ人 り。
  ああ

現代語訳

 ああ、桑戶よ。
 ああ、桑戶よ。
 君は本当の姿に帰ることができたんだね。
 だけど、僕たちはまだ人間のまま。
 ああ、君はなんて美しいんだ……。

付記

 荘子大宗師に登場する追悼歌。この訳文は2020年に訳したもの。つまり5年前だ。まだ漢文の訳をはじめたばかりの頃のもので、今でも気に入っている。詩以外の部分はいまとなっては見ていて恥ずかしいから目に入れたくもないけれども。書き下し文については今回あらためておこなったもの。

 この詩では死後のすがたを『真』と表現し、生きる人間と対比する。『真』とは、死体の象形である。生物は運動し、代謝し、成長して衰える。つまり常に変化する有限の存在である。死とは何か。その生からの解放であり、不変と永遠に帰することである。生とは、易経の概念を借りれば、形而下の器に過ぎず、死こそが形而上の道である。老子の言葉を借りれば、生の不在たる死こそが玄であり妙、すなわち無である。真は死であり、ゆえに完全であり完成である。

底本

莊子- 中國哲學書電子化計劃