三国史記 己婁王紀

己婁王

現代語訳

 己婁王、多婁王の元子である。見識は宏遠で、細かい事を心に留めなかった。多婁王の在位第六年に太子として立てられ、五十年に王が薨去してから位を継いだ。


漢文

 己婁王、多婁王之元子。志識宏遠、不留心細事。多婁王在位第六年、立為太子、至五十年、王薨、繼位。

書き下し文

 己婁の きみ は、多婁の きみ 元子 はぢめご たり。志識 しりたる は宏く遠く、心に細かき事を留めざり。多婁の きみ くらひ いま すこと第六年 むつとし 、立てて太子 みこ らしめ、五十年 いそとし きみ みまか るに至り、 くらひ を繼ぎたり。

九年

現代語訳

 九年(85年)春正月、兵を遣わせて新羅の国境付近を侵した。
 夏四月の乙巳 きのとみ に客星が紫微に入った。


漢文

 九年、春正月、遣兵侵新羅邊境。
 夏四月乙巳、客星入紫微。

書き下し文

 九年、春正月、 いくさひと を遣りて新羅の くにへ さかひ を侵す。
 夏四月の乙巳 きのとみ 、客星は紫微に入る。

十一年

現代語訳

 十一年(87年)秋八月の乙未 きのとひつじ みそか に日食があった。


漢文

 十一年、秋八月乙未晦、日有食之。

書き下し文

 十一年、秋八月の乙未 きのとひつじ みそか に日の之れを食むこと有り。

十三年

現代語訳

 十三年(89年)夏六月、地震によって(地が)裂け、民の家屋が陥没してしまい、死者も多かった。


漢文

 十三年、夏六月、地震、裂陷民屋、死者多。

書き下し文

 十三年、夏六月、地震 なゐ あり、民の いへ を裂け陷とし、死する者も多し。

十四年

現代語訳

 十四年(90年)春三月、大旱魃が起こって麦が実らなかった。
 夏六月、大きな風が吹いて木を抜いた。


漢文

 十四年、春三月、大旱、無麥。
 夏六月、大風拔木。

書き下し文

 十四年、春三月、大いに ひでり あり、 むぎ 無し。
 夏六月、大いに かざふ きて木を拔きたり。

十六年

現代語訳

 十六年(92年)夏六月の戊戌 つちのえいぬ ついたち に日食があった。


漢文

 十六年、夏六月戊戌朔、日有食之。

書き下し文

 十六年、夏六月の戊戌 つちのえいぬ つひたち 、日の之れを食む有り。

十七年

現代語訳

 十七年(93年)秋八月、横岳の大きな岩が一度に五つ落ちてきた。


漢文

 十七年、秋八月、橫岳大石五、一時隕落。

書き下し文

 十七年、秋八月、橫岳の大石 おほいは いつつ 一時 ひとたび 隕落 つ。

二十一年

現代語訳

 二十一年(97年)夏四月、二頭の龍が漢江に現れた。


漢文

 二十一年、夏四月、二龍見漢江。

書き下し文

 二十一年、夏四月、 ふたつ の龍は漢江に あらは る。

二十三年

現代語訳

 二十三年(99年)秋八月、霜を隕らせて まめ を殺した。
 冬十月、雹が降った。


漢文

 二十三年、秋八月、隕霜殺菽。
 冬十月、雨雹。

書き下し文

 二十三年、秋八月、霜を隕らしめ まめ ぎたり。
 冬十月、 ひさめ らしむ。

二十七年

現代語訳

 二十七年(103年)王が漢山で狩猟して神鹿を獲た。


漢文

 二十七年、王獵漢山、獲神鹿。

書き下し文

 二十七年、 きみ は漢山に獵り、神鹿を獲たり。

二十九年

現代語訳

 二十九年(105年)使者を新羅に遣わせて和平を請うた。


漢文

 二十九年、遣使新羅請和。

書き下し文

 二十九年、使 つかひ を新羅に遣りて やすし を請ひたり。

三十一年

現代語訳

 三十一年(107年)冬、氷が張らなかった。


漢文

 三十一年、冬、無氷。

書き下し文

 三十一年、冬、氷無し。

三十二年

現代語訳

 三十二年(108年)春夏に旱魃が起こり、その年には餓えた民が互いの肉を食い合った。
 秋七月、靺鞨が牛谷に入り、民口を掠奪して帰った。


漢文

 三十二年、春夏旱、年饑民相食。
 秋七月、靺鞨入牛谷、奪掠民口而歸。

書き下し文

 三十二年、春夏に ひでり あり、 とし に饑ゆる民は相ひ食む。
 秋七月、靺鞨は牛谷に入り、民口 たみ を奪ひ掠り、 すなは ち歸る。

三十五年

現代語訳

 三十五年(111年)春三月、地震が起こった。
 冬十月、また地震が起こった。


漢文

 三十五年、春三月、地震。
 冬十月、又震。

書き下し文

 三十五年、春三月、地震 なゐ あり。
 冬十月、又た なゐ あり。

三十七年

現代語訳

 三十七年(113年)使者を遣わせて新羅を聘問した。


漢文

 三十七年、遣使聘新羅。

書き下し文

 三十七年、使 つかひ を遣はして新羅を たず ねせしむ。

四十年

現代語訳

 四十年(116年)夏四月、コウノトリの巣が都城の門の上に見つかった。
 六月、十日にわたって大雨が降り、漢江の水があふれ、民の家屋を漂流させて毀した。
 秋七月、水害によって損なわれた田畑の補償を有司に命じた。


漢文

 四十年、夏四月、鸛巣于都城門上。
 六月、大雨浹旬、漢江水漲、漂毀民屋。
 秋七月、命有司補水損之田。

書き下し文

 四十年、夏四月、 かふのとり の巣、都の城の門の上に いてあり。
 六月、大いに あめふ ること浹旬 とほか 、漢江の水は たぎ り、民の いへ を漂ひ毀す。
 秋七月、有司 つかさ みことのり して水の そこな ひたるの はたけ を補ひたり。

四十九年

現代語訳

 四十九年(125年)新羅が靺鞨に侵入されて掠奪されてしまったので、文書を送って兵を要請し、王は五人の将軍を遣わせて、これを救援させた。


漢文

 四十九年、新羅為靺鞨所侵掠、移書請兵、王遣五將軍、救之。

書き下し文

 四十九年、新羅は靺鞨に侵し掠らるる所と為り、 ふみ を移して いくさひと を請はば、 きみ いつたり 將軍 いくさかしら を遣り、之れを救はしむ。

五十二年

現代語訳

 五十二年(128年)冬十一月、王が薨去した。


漢文

 五十二年、冬十一月、王薨。

書き下し文

 五十二年、冬十一月、 きみ みまか れり。

注記


客星

 新星や超新星、彗星など、新たに誕生した(と見られた)星のこと。

紫微

 北極星を中心とした星座群。天帝の住まう処。

横岳

 どこか不明。

漢江

 おそらく現在の漢江と同じ。現在の韓国において最も長い河川であり、韓国江原道通川郡を源とする。

まめ

 大豆。あるいは食用豆の総称。

氷が張らなかった。

 原文では「無氷」。四書五経のひとつ『春秋』などに登場する暖冬の表現。

牛谷

 京畿道北東部だと比定されるが、実際の位置は不明。靺鞨と馬韓の衝突地帯となっていた。

コウノトリ

 コウヅルともいい、朝鮮、日本、中国、極東ロシアと西欧、アフリカ北部に生息し、西洋と東洋では種類が違う。韓国で縁起のよい鳥とされており、これは中国や日本でも同様。北欧やオランダでは、コウノトリが家の屋根に巣をつくると縁起がよいとされており、本文の内容と似たところがあるものの関係は不明。また、日本にはコウノトリが生まれてくる子供を連れてくるという伝承が存在し、子宝に恵まれる縁起ものだとされているが、これは西欧から近年に輸入されたものである。

底本

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